今日はミンダナオ通りで生活をしている子どもたちとの交流日です。
ミンダナオ通りです。どこに家が分かるかわかりますか?写真右側の脇に、川へと降りる坂道があり、そこに家が造られています。
橋の下です。ゴミが落ちていたり、水が汚かったりと住環境は劣悪です。
路上の子どもたちは以下の3通りに定義されます。
①家族と定期的な接触がありつつ、その多くの時間を路上で働き過ごしているもの(75%)
②路上生活を送る家族の子ども(20%)
③家族に見捨てられ、または家族から逃げる等、家族と離れ路上で生活し、働いているもの(5%)
今日ここでお話をうかがった家庭は、政府より元々住んでいた土地の立ち退きに合い、指定された再定住地へと移住したものの、収入を得る職がなく路上で稼ぎを得ているそうです。
交流場所へ移動しています。子どもは人懐っこいので、すぐに手をつかんでくれます。
Isseiの隣に座っている小さな男の子の年齢は10歳です。ラ・サール、パヤタスの生徒を見てきましたが、比べてみると一目瞭然ですね。
文化交流では、Kazuyaが先生となり折り紙の手裏剣を教えました。なかなか作るのに手間取りましたが、出来上がったものを見て子どもたちは喜んでいました。笑顔を見ていると普通の子どもと違いはありませんが、その背景にある環境や境遇は様々で、親に見捨てられたり、「路上」というだけで偏見を受けたり、警察に捕まったりと、簡単には理解しきれないものがあります。
昼食後は家庭訪問に行きました。家は持っているけれど、収入を得るために路上に出て、そこでサンパギータという花の飾りを売って生計をたてています。実収入は1日150ペソほどだそうです。
ICANが職業訓練として行っているパン工場を訪問しました。手際良く生徒たちに作り方を教えてくれました。
後ろに飾ってあるのは、先発隊がカビテで作った「路上の子どもたちへのメッセージ」です。ちゃんと大切にしてくれているのが嬉しいですね。
パンが焼き上がるまでの間にゲームをしました。水をこぼさずにリレーをしたり、輪ゴムをバトンパスしたりです。
質疑応答では、相手の夢や楽しいことなどを聞きました。なかなか質問を紡ぎだせずに時間が過ぎてしまうこともありました。この時間は今日一度限りの貴重なものです。これを活かして明日からはもっと積極的に質問をしていけると良いと思います。
焼きたてのパンを試食です。おいしかったですね!
全員で記念撮影をしました。
今日は橋の下を訪れたのですが、普段は意識しない場所だったと思います。たった2週間しかいないフィリピンという国では、「この先には何があるのか」「この裏には何があるのか」といった疑問や考えが研修を深めていくのだと思います。自分がここで食べている食べ物は何ペソで、路上の収入と比べて高いのか安いのか、雨が降ると(毎日夕方に降ります)路上の川は大丈夫か等、すべての出来事が繋がっているという気持ちで臨んでほしいと思います。明日はパヤタスのゴミ処分場です。私たちの生活と処分場の関わりを考えていけると良いですね。
<今日の感想>
Keishi. 路上はゴミの臭いがして、足場が悪かった。雨が降ると家が流されてしまうのだそうだ。交流では、折り紙を説明しようとしてもうまくいかなかった。家庭訪問で聞いた、「父親の収入があった時は1日3食で、職のない今は1,2食」という話が印象的だった。
Daiki. 橋の下は虫が多く、異臭がしていて不衛生だった。家庭訪問の家はせまく、路上で働いている女の子は小学5年生だった。自分の生活は恵まれていると思った。子どもの手足にやけどの跡みたいなものがあった。
Taku. 雨が降ると流される危険性があるなど、とても大変だと思った。子どもたちが裸足で石の上を歩いており、大丈夫なのかと思った。家庭訪問は大家族だが小さな家に住んでいて、大変だと思った。
Tomohiro. 路上の子どもは栄養不足で体が小さかった。交流のときには、子どもが何かを訴えかけようとしていた気がして複雑だった。その心境を読み取られてしまった気がして、どう接すれば良いか迷った。単にかわいそうだと考えるだけではいけないと思った。
Tamawo. 交流の折り紙では、風船を作ってあげたらとても喜んでくれた。家庭訪問の家では、多くの家族がキュンキュンで生活していた。パン作りはみんな上手で、よく練習しているのだと思った。交流で将来の夢を聞いたとき、昨日までのとは異なり「大人になるまで生きたい」という答えがあった。
Manami. 橋の下では、虫がたくさんおり、足場も悪いのに子どもは裸足でびっくりした。雨が降ると流されるという話を聞いたとき、ただでさえ大変なのに、さらに困難が降り掛かるのかと思った。家庭訪問では、家があるだけましかと思ったが、子どもに教育をほどこせない母親の無念さを感じた。
Yoshito. 橋の下は、足場が悪く転びそうだった。家庭訪問では、「子どもが泣いたら、私も一緒に泣いてあげる」というお母さんの話が印象的だった。パン工房での子どもたちの表情は明るく、楽しそうにしていた。
Kazuya. 折り紙はうまく説明できずにくやしかったが、大きな手裏剣を作ってあげたら喜んでくれて嬉しかった。パン工房での交流で出会った人々はみんな大人な心の持ち主だったと思う。ゲームなどをして楽しかった。またやりたいと思う。
Koki. 今までであった子どもはみんなフレンドリーだったが、橋の下の子どもに会ったとき、あまり歓迎されてないのかなとも思った。交流ではダンスでコミュニケーションをとることができて良かった。子どもたちが、周りの人の発言をほめていてえらいと思った。
Issei. 川は汚く、そこで暮らしている子どもは栄養不足でおなかが出ていた。光景を見たとき、日本人でよかったと思ってしまった。家庭訪問では、12人で生活するにはせますぎる家で暮らしていた。
Kaito. 橋の下は臭いもきつく、ハエがいっぱいいた。交流では子どもたちが手をつないでくれた。焼きたてのパンがおいしかった。川は下水道のようで、「暑い日には子どもがここで泳いでしまう」という話を聞いたけれど、自分は絶対に無理だと思った。
<ICANスタッフMaikoさんのお話>
フレンドリーで笑顔の子どもたちの裏には、様々な問題があります。彼らが路上に出る時は明るい表情はしていません。親に虐げられたり、周りからのひどい扱いを受けることが多々あります。今日のような、誰も疑わないで遊べる時間というのは彼らにとって貴重なものでした。友達と遊んだり、趣味を楽しむ時間が圧倒的に少ないのです。簡単に彼らの生活は変わりませんが、事実をしった私たちができることを考えてほしいと思います。橋の下に人が住み、そこで子どもが生まれていく社会とはどうなのかを考えてください。小さな疑問や「これでいいのか」という考えを忘れないでいてほしいと思います。
写真を見ただけでも大変なところです。(@_@)
返信削除子供たちも沢山考える事があったでしょう
いろんな事を感じて来てください。
皆の顔つきが昨日までとは違うように見えます、
返信削除何を感じたのかな??