2012年7月15日日曜日

7月14日(先発14日目)

今日は帰国日を控え、研修そのものは最後になる日です。残念ながらYukiは体調不良で前半は不参加です。
 今日はサプライズ!ジープニーで移動です。

 中はこのようになっています。



 今日は以前訪れたミンダナオストリートなど、路上の子どもたちと一緒に水族館に行きました。子どもたちにとって水族館に行く機会は、その多くが今回で最初で最後になります。貴重な時間を提供できると良いですね。
 生徒1人に対して、2人ほどの子どもたちとパートナーを結びました。今日は自分たちがお姉さん、お兄さんなので子どもたちの世話を必死にしていました。
 記念撮影。後ろはマニラ湾です。
 手をつないだりしながら、コミュニケーションを図っています。路上の子どもたちなので、英語を話せる子は少なく、まさしく身振り手振りが武器となりました。
 水族館のあとは一緒にご飯を食べて解散しました。最後の交流でしたが、全員がきちんと相手のことを考えることができていましたよ。
 再びジープニーでICAN事務所へ移動です。




 最後のシェアリングを行いました。今日の感想や、研修全体の振り返り、自分が日本に帰ってからする決意などを発表しました。









 その後は修了式。2週間の研修を終えた証明書とプレゼントをいただきました。
 こちらからは本当にお世話になったICANのスタッフへ寄せ書きを贈りました。リーダーのTaishiが代表して渡しました。
記念撮影です。あとは帰国を残すのみ。スーツケースが重たくなりすぎないように気をつけて、安全に帰りましょう。

<研修の全体感想+帰国後の決意表明>
Saki. 研修当初、フィリピンの人の印象は積極的で明るい人ばかりだったが、研修を経る中ではそうでない人もおり、住環境や家族の問題などを抱えている人も多くいた。国の状況は想像以上だった。当たり前ということはなく、色々なことに感謝をしながら生活をしていきたい。「家族みんなで暮らしている時が一番幸せ。」という言葉を何度も聞いた。また、みんな夢を持っていた。
①英語の勉強を頑張る②感謝して生活する③自分の周りの人々に対して笑顔を絶やさない
Sakutaro. 一週目はどこにいっても国の貧しさを目にした。町中で子どもが働いていたり、路上で生活していたり。また、二週目はマカティなど、貧困の様子が見えない地域に赴いた。発展途上だからゴミ山があるのかはわからないが、発展をしていても貧困は残っているのだと分かった。JICAや学校の先生など、人によって政府や環境に対する意見はさまざまだったが、支援が必要な国であることは確かなようだ。でも危険と隣り合わせだったり、お金がなかったとしてもみんな夢や幸せな時間を持っており、当初の自分のイメージと違ってよかった。
①英語の学習②行動する人になる③自分のできる一番良いことをやる
Taishi. フィリピンという国でも、みんなでプールに入ったり水族館に行ったりと楽しい時間を過ごすことができた。自分の考えでは、この研修はフィリピンの習慣や文化を学び、次に歴史、そして最後に経済を学んでいるのだと思う。JICAやユニカセなど、今フィリピンがどのような経済状況にあるのかを把握し、どれだけ国や人々に協力をしているのかを考えた。
①ボランティアなど、JICAやICANのように海外協力に関わっていることをする
②お金を大切にする
Keisuke. 貧しい人たちが学校に行きたいけど行けないという状況にいる中で、裕福な自分は時に学校に行きたくないと思ってしまうことがある。差があるなと思った。貧富の差をはっきりと目にすることができ、自分たちは恵まれているのだとも分かったし、日本という国の立ち位置も感じることができた。こちらが笑顔だと、話しかけてくれる人が増えるようだ。今の自分は精神的にも肉体的にもとても疲れているが、この疲れが日本とフィリピンのさまざまな差を表しているのではないかと思った。
①健康管理②研修を後輩に伝える③研修の写真を机に入れて忘れないようにする
Yuki. 最初に訪れた商業地では、日本とあまり変わらないという印象を持ったが、パヤタスや路上の時の衝撃は大きく、頭がついていかなかった。パン工場見学のときは、自分たちの生活環境が劣悪な中でも、パンを作ることに希望を見出しているのだと思った。ホセ・リサールに関わることで、日本軍が過去にした行いを人々は知っているにもかかわらず、自分に対する接し方は皆優しかった。名古屋で自分のできることを探したい。
①家族に話す②妹にできなかったことをやってあげる③祖父母に感謝する
Kanako. フィリピンの人々は明るくて元気で、気軽に話しかけてくる人ばかりだったがが、生命の危険と隣り合わせだったり、生きることで精一杯の人たちを多く見てきた。ボランティアなどで関わっていければと思う。カビテでは、言葉や思考の違いはあっても、協力して物事を進めていけることを学んだ。理想の世界をグループで描いた時に、どのグループもコンセプトは同じになり、目指すものが明確になった。一人ひとりが身近な人を幸せにしていけばよいのだと分かった。
①フィリピンの人々のことを話す②家族に感謝する
Misaki. ブラカンでのホームステイが楽しかった。ステイ先の家族は優しく、フレンドリーに接してくれた。印象に残っているのはパヤタスで、家庭訪問の話は衝撃的だった。ゴミ山で死ぬ人が多くいる一方で、生活のためにはゴミが必要で、ゴミ山は大切なものだった。多くの支援の形を学んだが、同時に、本当の支援はただ何かを与えるだけではなく、支援をする人がいなくなっても継続した生活ができるようにすることだと分かった。今回の研修をきっかけにして、いろいろな国に行って状況を確かめていきたい。
①小さなことでもちゃんとやる②一期一会の精神で仲良くなる③国外という概念をなくす
Julia. この2週間は長かった。毎日が日本では経験できないことばかりなので、長く感じたのだと思う。日本での一日は早く過ぎてしまうから。多くの出会いを経験し、みんなが夢や目標を持っていた。自分にも夢はあるが、そこに向かって何をしたらいいか分からないので、日本に帰って努力したい。空気は汚れているし、道路はぼこぼこだったけど、人々は好きになった。ここで生活した感覚は忘れてしまうかもしれないけれど、記憶だけは忘れたくないし、また子どもたちに会いたいと思う。
①勉強する②親孝行する③貧しい人や不自由な人を助ける
Stacy. マカティのような場所があるとは思っていなかった。学校訪問では、文化や授業の違いなどを知ることができてよかった。路上を訪れた時の、マイケル君の「ネズミのような生活をしている。」という言葉が印象的だった。ブラカンでのホームステイは楽しくて、手でご飯を食べるという経験を初めてした。JICAやサン・ミゲルなど、仕事や社会貢献のしかたについて参考になった。研修の中で子どもと出会い、もらった多くのものを大切にしていきたい。
①世界史の勉強②ソリダリティナイトの誓いを忘れない③母親のご飯を残さず食べる
Rikako. パヤタス高校での伝統的な踊りが良かった。路上を訪れたときには、政府のやり方で家族が分断されていたり、それでも環境が改善されていなかったりと、フィリピン政府は何をやっているのだと思った。自分たちの生活は豊かすぎるのだと思った。自分の1ペソと、パヤタスや路上の子どもたちの1ペソは、全く価値が違うのだと分かった。夢を持っていても経済的な障害がついてきたりと難しい世界で子どもたちは生活している。道路一つでも、日本の良いところがわかったが、同時に日本も見直すべきところがあるなと思った。
①英語の勉強②研修で学んだことを進路や将来に活かす③家族に感謝する

<ICANスタッフAyaさんのお話>
最初はどういう生徒が来るのか、研修がどうなるのか不安でした。初日のみんなのコメントが「疲れた」「眠い」「だるい」といったもので、大丈夫かと思っていました。ただ、3,4日目くらいからフィリピンの勢いに巻き込まれる形で、自分たちの殻を破り始めてきたのだと思います。印象的だったのはカビテで、疲れも最高潮で、頭もいっぱいいっぱいの中で、24時間子どもたちと生活をするのは大変だったと思いますが、このころからシェアリングや取り組みに変化が見られるようになりました。
フィリピンというのは飽きない国だと思います。何度パヤタスや路上に赴いても、まだまだわからないことがたくさんあります。嫌なことや苦しいことがたくさんあって、もう来たくないと思っていたとしても、今回の研修のどこかで、来てよかったと思ってくれているのではないかと感じています。今回の研修は、参加者である皆さんの取り組みによって中身が変わっていきました。自分の手で作り上げたものです。16,7歳でこの経験ができることはとてもうらやましいことです。ここでの研修を通して得た疑問や、納得のいかないことを追いかけ続けていってほしいと思います。








1 件のコメント:

  1. 何をどうコメントしたらいいのか・・・。
    子どもたちのコメントは、胸が熱くなります。
    子どもたちの成長が、写真や文章から伝わってきて、
    とても充実した日々を送ることが出来たと思います。
    ほんとにフィリピンで関わりを持った皆さんに
    感謝したいと思います。

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